2018年9月29日土曜日


ロンドン五輪も2週間切って来たところで「写真家と五輪」にまつわる、映像と写真のエピソード。

写真家で五輪代表といえばこの人 "Leni Riefenstahl"(レニ・リーフェンシュタール)。

女流写真家ですがリアル魔女(凄すぎるのでそう表現しました)。

ダンサーから女優、女優から映画監督、監督から写真家、写真家から映像作家へと、102年の驚愕で波乱万丈なアートな生涯は彼女のwikiから滲み出ています。

「ナチスのプロパガンダ映像作者」や「ヒットラーの愛人」と言われ続け、生涯を断罪と迫害で追われたのも、その驚異的な映像力あってこそで、世の中を狂気の世界へ引きずり込んだと言っても過言ではないでしょう。

しかしプロパガンダは"時代の寵児"の映像作家を使う傾向があるので、ドイツで活動を行っていれば、当然白羽の矢がリーフェンシュタールに向かって来るのは必然でした。

日本でもプロパガンダと言えば「名取洋之助」が有名ですが彼も20世紀初頭、ドイツで写真に触れています。

当時のドイツは

2012年2月19日日曜日

カメラマン、写真家、フォトグラファー?いや、カメコです!



Photographer Dennis Stock 



『写真を撮る人』のコトって、どう呼んでいます?

普通は『カメラマン』なんて、呼んでいますが『カメラマン』はどうやら和製英語らしいのです。

英語圏では『Photographer(フォトグラファー)』が写真を撮る人で、『Cameraman(カメラマン)』はムービーカメラマンの意味なんだとか。

しかし写真の発祥は西洋社会ですから、このくらい間違えたほうが日本らしいというか。

それにしてもカメラマンとかフォトグラファーだとか、写真家だとか、同じような事をしている人達なのに、まったくややこしい。

日本人って一つの物や事柄を『一物多名称』でレトリックして、こねくり回す種族だから仕方ないかもしれません。

『一物多名称』をポジティブに考えると、「情緒豊かな表現」で、ネガティブに考えると「回りくどい」って感じでしょうか?

そんな中『写真を撮る人』は前出以外にも、実に豊かなラインナップで表現されています。

『写真を撮る人』を適当に列挙してみました。

・カメラマン
・フォトグラファー
・写真家
・写真作家
・先生
・カメラ
・キャメラマン
・スチール
・写真技能士
・記録
・写真屋
・社カメ
・写真部
・撮影スタッフ
・カメコ(カメラ小僧)
・カメオタ(カメラおたく)
・カメ女(カメラ女子)
・シャッターマン

ずいぶん多くの言い方があるのですが、それぞれ名称別に使用方法を解説します。

カメラマン
『写真を撮る人』の名称で一番使われているものが『カメラマン』です。
前出の和製英語ではあるものの、プロアマ問わず、抜群の使用頻度を誇っているのではないでしょうか?プロの場合の『カメラマン』は職人的な意味合いが強く、前部に「報道」や「スポーツ」や「ファッション」、「商品」、「スタジオ」など付けると複合語として、専門性のある職種もあらわす名称になっています。日本では『写真を撮る人』の代名詞と言ってよいでしょう。


・フォトグラファー
『カメラマン』の次にプロが良く使う『写真を撮る人』の名称ですが、カメラマンの和製英語に対して、本来の名称が『フォトグラファー』です。主にプロが使い、完全なアマチュアで『フォトグラファー』を名乗っている方はあまりいないような気がします。職人的気質の『カメラマン』よりもクリエイティブな雰囲気を出したい、オシャレなプロが良く使う傾向があります。
例えば「ファッション・フォトグラファー」などはありますが、『学校カメラマン』はあったとしても、『学校フォトグラファー』がないのは、学校写真にオシャレが求められていないからです。
『フォトグラファー』のマストアイテムは外車とapple、海外メーカーのカメラバッグです。
近くなのに電車移動で国内メーカーのカメラバッグ使いはフォトグラファーと呼ぶにはチョット・・・
名刺をもらった際には、ソコのところをチェックすると面白いカモ。

写真家
『写真を撮る人』の『カメラマン』、『フォトグラファー』、『写真家』の三段活用の最上部の名称が『写真家』です。クリエイティブ系の『フォトグラファー』よりも更にアート&カリスマクラスの雰囲気を醸し出します。自らが企画を立てて作品を発表します。仮に顧客に発注された写真撮影だとしてもクライアントとの力関係は、「顧客<写真家」の図式で成り立っている場合が多く、撮影チームをまとめ上げ『写真家』がリーダーとなって進行していきます。
しかしアマチュアにも『写真家』は多く、写真以外の仕事を持ちながら、自らが企画した内容で写真撮影を行って、写真展開催や写真集の発表をしています。この場合の経費は殆ど『写真家』の持ち出しです。写真展のプリントと額装、DM制作に数万~数十万円。写真集制作に数十万~数百万円が費用として必要なようです。中にはスポンサーを見つけ経費を捻出している『写真家』もいます。


写真作家
写真によるアート制作を行っている人が『写真作家』です。『写真家』もアート系ですが、『写真作家』は写真を使ったアートそのものを制作し発表します。語源として『写真家』のほうが古く、後から『写真作家』が出現しているのは、日本では写真がアートとして認知されたのが近年ため、『写真家』との差別付けが必要になり『写真作家』が出現しています。しかし自称『写真作家』には不思議ちゃん系も多いのが実際のところです。


先生
写真家、写真作家の気分を良くさせるために使う名称です。
写真は気分によって出来不出来に多大な影響がある制作物ですので、人使いの上手なクライアントが『写真家』の気分を持ち上げるためよく使います。
一昔前はよく使っていたようですが、最近はあまり聞きません。
また、写真家やカメラマンのアシスタントが「先生」と言う場合もあります。
でも最近は徒弟制度が崩壊していますので、「先生」といってもらえる撮影者も少なくなっています。
徒弟制度の崩壊理由は写真学校の普及や、薄給に対してのリターンが見込めない事や、写真家にアシを雇う財力がなくなったからです。


・カメラ
上記の『カメラマン』の『マン』を端折っただけの名称ですが、結構使われている方も多くいます。

使用事例 : 
1、編集者 「本日撮影させますカメラの○○です。」(俺はカメラマンでカメラじゃねー!ブツブツ)
2、友人A  「ちょっと聞きたいんだけど~○○ってカメラやってたよね。」


キャメラマン
自分の経験上、ご年配の方がよく使われる名称です。ジェネレーションによっての名称も変化しています。またムービー業界では撮影者のことをキャメラマンと呼んでいます。


・スチール
動画の現場でムービーカメラマンと差別付けするために呼ばれている名称です。

使用事例 : 
1、ムービーのディレクター 「あの画に入っているスチールどかせ!」
2、「はじめまして今日の現場でご一緒させていただきます、スチールの○○です。」


写真技能士
『写真を撮る人』で唯一、国家資格になっているものが『写真技能士』です。
最近ではデジタルも試験項目に入っているようです。
しかし営業写真館以外ではその使い道はまったくありません。
元来『カメラマン』は個人の能力で成り立っているものですが、写真館では個人が売りになる商材ではないので、『写真技能士』なる資格で差別付けしています。
また写真専門学校では看板になる取得可能な資格が少ないので、『写真技能士』で客(生徒)を釣っているようですが、この国家資格を取っても、写真撮影の能力がプラスになるとは思えないので注意してください。

就活で資格にすがりたい方にお勧めです。


・記録
イベント会場等で写真を撮影する、カメラマンの別名称です。

使用事例 : 「記録の○○さん、お弁当食べた?」「記録の○○さんあれも撮っておいて下さい。」
進行表に自分の名前が無いと思ったカメラマンの皆さん、記録と書かれていることがあります。


写真屋(さん)
写真館や遠足の同行、運動会のカメラマン、街のプリント屋さんの別名称です。
『写真屋さん』と使うのが通常の使用方法です。
『写真屋』と呼び捨てする場合は商業カメラマン全般を見下すときに使用します。
当の『写真屋』がいない状況で使いましょう。


・社カメ
『社員のカメラマン』の略語で、社員とは言っているものの正社員だけではなく、契約社員も含まれます。新聞社や出版社、広告代理店、スタジオに勤務しています。
『社カメ』の頂点は新聞社の社員カメラマンと大手広告代理店の社員カメラマンです。
新聞社カメラマンはハイヤー移動や高給の高待遇で知られますが、新聞のビジネスモデルが破綻しかけている昨今では徐々に高待遇が無くなって来ているようです。また広告代理店のカメラマンは学閥化が進んでいますので入り込むには大学を選ぶしかないようです。
『社カメ』の反対語は『フリーカメラマン』。


・写真部
高校や大学でのクラブ、写真部を指します。
また社カメの在籍している会社内での呼ばれ方も写真部です。


・撮影スタッフ
男女雇用均等法では求人の際、『カメラマン』ではなく『撮影スタッフ』や『カメラマン(男女)』として表記するのが正式だそうです。
写真では無いのですが、ムービーのスタッフをまとめて呼ぶ場合も『撮影スタッフ』と言います。


カメコ(カメラ小僧
カメラ小僧の略語として一般化したものが『カメコ』です。
カメラ小僧はカメラ好きを指していましたが『カメコ』はオタク系写真撮影者を指します。
コスプレ系ではカメラマンの事を『カメコ』呼ぶのが一般的になっていますが、ある程度のキャリアの商業カメラマンに『カメコ』と言ってしまうと、気分を害する場合があるので、使用方法には注意が必要です。

使用事例 : 
イベントコンパニオンA 「あのカメコ、マジキモ!『ドコ撮ってんだヨ!』って感じ。」
イベントコンパニオンB 「でも、大切なお客でもあるんだけどね。」


カメオタ(カメラおたく)
カメラが大好きな人を指しますが、イコール写真が大好きなわけではありません。特にシャッター音やカメラの重さ、質感、機能を最優先しています。パソオタ(パソコンオタク)と似たような雰囲気を醸し出し、ステレオタイプのファッションとして、バンダナとカメラマンベストが必須アイテムです。
またカメオタに写真論を話しても共感してもらえない場合が多く、スティーグリッツが云々、高橋周平が云々と言っても理解してもらえません。
あくまでも、機械としてのカメラを共通言語として会話しましょう。
オリンパスやペンタックスの悪口は絶対に厳禁です。


・カメ女(カメラ女子)
写真好きな女の子をカメ女と言います。カメコやカメオタとの相違点はファッションから来ているところでしょうか。さらに『カメコ』も『カメオタ』もカメラに依存していますが、カメ女はカメラではなく写真に価値を見出しているところが圧倒的な違いです。
源流は90年代の渋谷で、ちょい古な一眼レフを斜めがけしているところから、ファッションとして始まりました。一般的には桑沢のオシャレ女子が始まりと言われていますが、実際のところは90年代中期、渋谷にある日本写真芸術専門学校の在学生が男子率よりも女子率のほうが上回った時期とリンクしていることから、桑沢発祥説よりも日本写真芸術専門学校発祥説の方が有力となっています。
現在は数種類の「カメ女雑誌」も発行され、女子用のストラップやカメラバッグが発売されるまでになっています。


・シャッターマン
フィルム撮影が盛んだった前世紀に主に使われていました。メーカーの新製品のリリース写真は大量に同じ写真を作る必要がありました。その際、撮影後のフィルムをデュープ(複製)するのが一般的でしたが、デュープよりも安価に写真を作るため、同じ写真を数百カット撮影していました。
その際シャッターを切る(レリーズを押す)人間はアシスタント等が行っていましたが、本当にシャッターを押すだけなので、シャッターマンと呼ばれていました。
しかし、フィルムチェンジもピンの確認も、露出確認もしていますので、純粋にシャッターを押すだけではありません。
また、隠語としてデザイナーや編集者、デレクターの指示でしか写真を撮影しないカメラマンもシャッターマンと呼ばれています。


以上で終了ですが、
自分も『写真屋』とか『シャッターマン』と言われないように気をつけたいところです。

また、この他にもありましたらば是非ご連絡下さい。

2012年2月13日月曜日

コダックの分岐点は必然?


2月9日、フォトギーク達を席巻したショッキングな出来事が起こりました。

2012年1月、米連邦破産法11条の適用を申請していた『米Eastman Kodak Company(コダック)』がデジタルカメラ、ビデオカメラ、デジタルフォトフレームの製造部門を段階的に廃止すると発表。

前々からヤバイと言われていたコダックに、年貢の納め時が来たようです。

『20世紀の映像の歴史はコダックの上に成り立っていた』、と言っても過言で無いグローバル企業のKodak、自身の生み出したデジタルカメラで自らの首を絞め、デジタルカメラの生産が出来ない状況へと陥ってしまったようです。

しかし、90年代までのKodakは映像業界への凄まじいパワーを武器に、NATIONAL GEOGRAPHICTIMEThe New York TimesCosmopolitanVOGUEAARPなどのほぼ全ての出版産業、ハリウッド映画全体、医療用映像フィルム、軍事偵察機のフィルムから一般家庭のコンパクトカメラまで、写真だけでなく映像産業の全てが、コダックの支配下に従属していたと言っても過言ではありません。

撮影用フィルムを販売する事で生業を立てていたKodakは1975年にデジタルカメラを発明1978年特許取得)したのですが、誰がデジカメを創ったのかというと、この人。

Steven Sasson(スティーヴン・サッソン)、新生と破壊をもたらした張本人です。

DAVID FRIEDMAN PHOTOGRAPHYのブログDFP:BLOGSteven Sassonにマイクが向けられ、インタビューに答えています。

ではデジタルカメラ発明のその時、1975年とは写真の歴史上でなにが起こっていたのでしょうか?

1975年・・・

パティー・スミスのファーストアルバム、Horses(ホーセス)が発売。
そのジャケットのフォトグラファーはロバート・メイプルソープ

シンディー・シャーマンの「Untitled」シリーズがスタート。
例の「Untitled」シリーズのファーストカット・・・。
例の高額取り引きされた写真の初めての一枚・・・
Untitledは「A」からはじまりましてぇ・・・

にわかシンディー・シャーマンのファンは「Cindy Sherman Untitled A」で検索しないほうが良いでしょう。(閲覧注意!)

ウォーカー・エバンス 死去  1975年4月10日
ストレートフォトで有名なウォーカー・エバンスがこの年、72歳で他界しています。
一般の人々を撮影した写真はこの後、アメリカンスタンダードとしてアベドンに続いていると感じているのは自分だけではないはずです。

アンセル・アダムス1975年いっぱいでプリント受注を終了と宣言!
あの巨匠の打ち止めが1975だったようです。


このように1975年は写真の世界においてトピックス満載のマジックイヤーだと思いますが、その裏のコンピュータ業界でも1975年は特別な年のようです。

その代表に世界初の個人向けコンピュータ(パーソナルコンピュータ)MITS社のAltair 8800が発表され、「そのPC用のBASICを作ったるゼ!」とMITS社にビル・ゲイツが持ちかけた所から、Microsoftがスタートしたとかなんとか・・・

PC業界においても1975年はマジックイヤーのようで、、デジタルカメラの発明とパーソナルコンピュータの発売が同時期とは・・・
2012年の現在では、デジカメとPCは相互関係で成り立っていますし、技術革新の中で必然の出会いがあっても不思議ではないと思いますけど、まさか一緒の年だったとは驚きです。

更にアンセル・アダムスが受注を止めた時期とリンクしているコト自体、写真的に考えると非常に感慨深い年が1975年となります。

多少強引なこじ付けかもしれませんが、デジタルカメラが生まれ、ストレートフォトの巨匠が別々の形で逝き、個々の内面を写す写真家がデビューした年が1975年だったのですネ。

このままKodakがフェードアウトしてしまうのは残念で、映像業界の牽引者だったKodakさんですから、是非とも今後の『 V字復活 』を願わずにはいられないのが本心です。

個人的にKodakのフィルム、Try-X、T-MAXは常用として使っていましたが、コダクロームとテクニカルパンで衝撃的な体験をしたことは今でも忘れられません。

がんばれ!Kodak!

2012年2月8日水曜日

はじめの一枚

写真がこの世に誕生して約200年。

乾板からフィルム、デジタルへ変わっても、紙からモニターになっても、写真は今だビジュアルの最先端。

こんな不思議な写真ってなんだろう?

時間を止める行為の写真なのに、現在進行形でムーブメントが生み出されているし・・・

過去の写真、現在の写真を通して、記録装置としてのカメラ、アートとしての写真、ガジェットライクなカメラまで、
写真と、デジタルと、アートとその背景を見渡したブログ、
『 写真の分岐点 』をはじめます。



























ジョセフ・ニセフォール・ニエプス 
ル・グラの窓からの眺め 1826年頃
Joseph Nicéphore Niépce     
“View from the Window at Le Gras”  1826