2012年2月13日月曜日

コダックの分岐点は必然?


2月9日、フォトギーク達を席巻したショッキングな出来事が起こりました。

2012年1月、米連邦破産法11条の適用を申請していた『米Eastman Kodak Company(コダック)』がデジタルカメラ、ビデオカメラ、デジタルフォトフレームの製造部門を段階的に廃止すると発表。

前々からヤバイと言われていたコダックに、年貢の納め時が来たようです。

『20世紀の映像の歴史はコダックの上に成り立っていた』、と言っても過言で無いグローバル企業のKodak、自身の生み出したデジタルカメラで自らの首を絞め、デジタルカメラの生産が出来ない状況へと陥ってしまったようです。

しかし、90年代までのKodakは映像業界への凄まじいパワーを武器に、NATIONAL GEOGRAPHICTIMEThe New York TimesCosmopolitanVOGUEAARPなどのほぼ全ての出版産業、ハリウッド映画全体、医療用映像フィルム、軍事偵察機のフィルムから一般家庭のコンパクトカメラまで、写真だけでなく映像産業の全てが、コダックの支配下に従属していたと言っても過言ではありません。

撮影用フィルムを販売する事で生業を立てていたKodakは1975年にデジタルカメラを発明1978年特許取得)したのですが、誰がデジカメを創ったのかというと、この人。

Steven Sasson(スティーヴン・サッソン)、新生と破壊をもたらした張本人です。

DAVID FRIEDMAN PHOTOGRAPHYのブログDFP:BLOGSteven Sassonにマイクが向けられ、インタビューに答えています。

ではデジタルカメラ発明のその時、1975年とは写真の歴史上でなにが起こっていたのでしょうか?

1975年・・・

パティー・スミスのファーストアルバム、Horses(ホーセス)が発売。
そのジャケットのフォトグラファーはロバート・メイプルソープ

シンディー・シャーマンの「Untitled」シリーズがスタート。
例の「Untitled」シリーズのファーストカット・・・。
例の高額取り引きされた写真の初めての一枚・・・
Untitledは「A」からはじまりましてぇ・・・

にわかシンディー・シャーマンのファンは「Cindy Sherman Untitled A」で検索しないほうが良いでしょう。(閲覧注意!)

ウォーカー・エバンス 死去  1975年4月10日
ストレートフォトで有名なウォーカー・エバンスがこの年、72歳で他界しています。
一般の人々を撮影した写真はこの後、アメリカンスタンダードとしてアベドンに続いていると感じているのは自分だけではないはずです。

アンセル・アダムス1975年いっぱいでプリント受注を終了と宣言!
あの巨匠の打ち止めが1975だったようです。


このように1975年は写真の世界においてトピックス満載のマジックイヤーだと思いますが、その裏のコンピュータ業界でも1975年は特別な年のようです。

その代表に世界初の個人向けコンピュータ(パーソナルコンピュータ)MITS社のAltair 8800が発表され、「そのPC用のBASICを作ったるゼ!」とMITS社にビル・ゲイツが持ちかけた所から、Microsoftがスタートしたとかなんとか・・・

PC業界においても1975年はマジックイヤーのようで、、デジタルカメラの発明とパーソナルコンピュータの発売が同時期とは・・・
2012年の現在では、デジカメとPCは相互関係で成り立っていますし、技術革新の中で必然の出会いがあっても不思議ではないと思いますけど、まさか一緒の年だったとは驚きです。

更にアンセル・アダムスが受注を止めた時期とリンクしているコト自体、写真的に考えると非常に感慨深い年が1975年となります。

多少強引なこじ付けかもしれませんが、デジタルカメラが生まれ、ストレートフォトの巨匠が別々の形で逝き、個々の内面を写す写真家がデビューした年が1975年だったのですネ。

このままKodakがフェードアウトしてしまうのは残念で、映像業界の牽引者だったKodakさんですから、是非とも今後の『 V字復活 』を願わずにはいられないのが本心です。

個人的にKodakのフィルム、Try-X、T-MAXは常用として使っていましたが、コダクロームとテクニカルパンで衝撃的な体験をしたことは今でも忘れられません。

がんばれ!Kodak!

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